DESIGN COMPUTING CRAFT
2014.04.15
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Column

千文字描書 #1 渡辺潤平

錆びる男

また……か。
目が覚めると、枕を見つめて彼は呟いた。
強張った体をわずかに持ち上げ、ベッドのシーツに目をやる。
裸眼視力0.1にすら届かない不確かな視界にも、
その赤茶けた巨大な染みの存在は、はっきり見て取れる。
錆である。
海沿いの道に打ち捨てられた自動車のように、彼の身体から
赤い錆が浮き出すようになって、そろそろひと月になろうとしている。

彼が初めて異変に気づいたのは、ある夜のことだった。
疲れた身体を引きずるように帰宅し、白いワイシャツを脱いで彼は驚いた。
シャツの背中が、なんとも言えぬ不快な茶色に染まっている。
俺、外で柵かなんかに寄りかかったっけ。
首を傾げつつシャツを洗濯機に放り込み、彼はそのまま倒れるように眠り込んだ。

翌日は、彼の関わる案件で2番目に大きいプロジェクトのプレゼンテーションだった。
彼自身がそう認めるほど、彼はプレゼンテーションの
スピーカーとして天賦の才を持ち合わせていた。
耳あたりの良い声は沈滞した会議室の空気を一変させ、
タイミングよく飛ばすジョークは、クライアントの誰をも魅了した。
その日も、彼のプレゼンテーションは冴えに冴えた。
心地よい緊張感、頭脳が高速回転するときに立てるブーンという音、そして、
彼の立案した戦略がクライアントにしみ込む瞬間の感触に、彼は酔いしれた。

プレゼンテーションは、完璧だった。

プロジェクトリーダーは彼に感謝の言葉をかけ、
若手マーケッターたちは羨望の眼差しを彼に浴びせた。
近くのカフェに入り、ジャケットを脱ぎ捨てながら
コーヒーを注文すると、彼は洗面所へ向かった。
冷たい水で顔を洗い、鏡に映る自分の姿を見て、彼は驚きの声を上げた。
白いボタンダウンのシャツが、
トマトの海を泳いで渡ったかのように赤茶色に染まっている。
軽いめまいを覚えながら、彼は身体中からある匂いを認識した。
間違いない。それは、鉄の朽ちていく匂いだった。

彼はもう二年ほど、プライベートに、具体的にいうと結婚生活に
ある深刻なトラブルを抱えていた。
彼は仕事に逃げた。週末を厭わず働きに働き、刹那的な充足感を得てしのいでいた。
そもそも彼の仕事は、過度のプレッシャーに苛まれる仕事でもある。
プレッシャーでプレッシャーを相殺する。彼の日常はいわば、そんな状態であった。

錆の進行は、日に日に悪化していった。
トレードマークである白のボタンダウンシャツをすべて処分し、
彼は黒のシャツに黒のジャケットを合わせるようになった。
月に2回のフットサルにも、まったく顔を出さなくなった。
不幸か、というと、そんなこともないらしい。
彼は自らの異変を早々にカミングアウトし、
シトラスのフレグランスがわりにアメリカ製の錆び止めを身体中に吹き付け、
プレゼンテーションでは「身から出た錆とは、まさに僕のことです」などと、
自虐的なジョークを言い放っているらしい。

まったく、恐ろしい男である。
そして、彼の風貌がもはや老人にしか見えぬことを、
まわりの者は誰も口にできずにいる。

 

渡辺潤平(わたなべ・じゅんぺい)
コピーライター。早稲田大学卒業後、博報堂入社。2007年に渡辺潤平社設立。最近の仕事に日経電子版「田中電子版」、ユニクロ「新・チノ、新・カーゴ」、進研ゼミ「進め、学び。」、みんなのテニスポータブル「全員修造!」など。カンヌ国際広告祭、TCC新人賞、日経広告賞などを受賞。

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