先日、コピーライターの渡辺潤平さんの事務所を訪れたとき、「これ興味ありませんか?」と言われて渡されたのが本書でした。亀倉雄策がデザインした1964年東京オリンピックのシンボルマークを見るや否や、私は価格の交渉をしたくなる気持ちを抑えきれませんでした。この類いの本は長年追いかけてきたつもりでしたが、本書は初見だったからです。渡辺さんに一本とられた瞬間でした。
亀倉雄策のデザインといえば、「NIKON」や「NTT」のロゴマークが知られていますが、そのなかでも代表作といえば、1964年の東京オリンピックのシンボルマークではないでしょうか。そもそも、ひとつのオリンピックにつき、ひとつのシンボルマークという現在ではあたりまえの形式は、1964年の東京オリンピックで考案されました。もちろん、五輪のマークを配したポスターは過去にも制作されましたが、オリジナルのシンボルマークは1964年の東京まで待たなくてはなりませんでした。そして、この発案を行ったのも亀倉雄策でした。亀倉雄策は、次のように語っています。
「僕が東京オリンピックで独自のシンボルマークを作ったら、それが好評で、メキシコでもミュンヘンでも作るようになった。大会のシンボルマークを作ろうと初めて提案したのが僕なんだ」(野地秩嘉著『TOKYOオリンピック物語』小学館刊より)
本書は、来たるべき1964年東京オリンピックの概要を海外に伝えるために、東京都が刊行した冊子のひとつです。まだ建設前の代々木の体育館が模型として掲載されているほか、駒沢公園の施設の計画図、東京の観光地なども紹介されています。例えば、明治神宮の写真には、普段は見れない角度から社殿が撮影されているため、今日の目から見ても、新鮮なイメージを受け取ることができます。また、上野公園の東京文化会館は、現在、周囲の樹木が大きくなり、全景が見えにくくなっていますが、本書の写真は全景を納めていて、非常に均整のとれた構造物であることがわかります。そして、これらの写真の印刷は、今日ではほとんど使われなくなったグラビア印刷が用いられています。豊かなモノクロの諧調が紙面に奥行きを与え、本としての完成度を高めています。
表紙になった亀倉雄策のシンボルマークが発表されたのは1961年の2月でした。「もはや戦後ではない」時代に突入していた日本は、さらに経済成長を加速させ、敗戦の焦土をオリンピックの舞台に変えようとしていました。亀倉雄策は、五輪と「赤い太陽」をシンボルマークに図案化したと公言していますが、「赤い太陽」が「日の丸」と見て取れることはあきらかです。五輪と「日の丸」というシンプルなデザインには、敗戦からの復興に対する確固たる自信が現れているようです。
潤平さん、売る気になったら、一番最初にお声がけくださいね。
森岡督行(もりおか・よしゆき)
1974年生まれ。東京・茅場町にある昭和2年築の古いビルで、写真集や美術の古書を扱う森岡書店を営む。著書に『荒野の古本屋』(晶文社)、『BOOKS ON JAPAN 1931–1972 日本の対外宣伝グラフ誌』(ビー・エヌ・エヌ新社)、『写真集 誰かに贈りたくなる108冊』(平凡社)がある。『芸術新潮』にて「作家が覗いたレンズ」、新潮社・とんぼの本のホームページにて「森岡書店日記」を連載中。
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