DESIGN COMPUTING CRAFT
2014.06.27
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Column

千文字描書 #3 渡辺潤平

ミドリムシとバリスタ

視点1

彼らは通俗的に「ミドリムシ」と呼ばれる。主に都心で目撃される。
主たる食料は、車。路地の片隅や幹線道路の路肩に
停めっぱなしにされている、色とりどりの車である。
彼らは仲間と2匹で1組となり、行動することを義務づけられている。
1匹での狩りは身体への負荷が高いことと、
天敵に襲撃された際の防衛策、というのがその理由だ。

3年前まで、彼は大手文房具メーカーの資材部担当部長だった。
資材部の現場トップともなれば、かなりのポストだ。
部下はゆうに200人を超えていた。それが、今ではどうだ。
就職面談で出くわせば2秒でペケを付けそうな若者から罵声を浴びせられ、
ただ道を歩くだけで、まわりの人から白い目で見られる。
それでも彼は街を歩く。灼熱の午後も、凍てつく冬の朝も。
仕事だから? そうではない。目的など、とうに忘れてしまった。
そもそも生きることに目的など必要だろうか。
ただ、目の前に並ぶ色とりどりの車を写真に収め、違反証明書に時刻と現在地を記入し、
フロントガラスに貼付する。そのためだけに、彼は今日も黙々と街を歩く。

ふと顔を上げると、彼はまぶしいほどに青いペンキで塗られた小さな店の存在に気がついた。
コーヒーショップだろうか。ずいぶんと洒落た店構えだ。
視線を下げ、真新しいその店の前を通り過ぎる。
強烈なコーヒー豆の香りに、彼は軽く目眩を覚え、思わず立ち止まる。
相棒のミドリムシが、怪訝そうな顔で振り返る。
会社勤めの頃。オフィスの隣のビルに実にうまいコーヒーを淹れる店があった。
物腰の柔らかいあの主人は、どうしているだろう。
だが、今の私には関係がない。
ああ、今日は雨にならないといいが。彼の長い一日は、まだ始まったばかりだ。

 

視点2

午前10時を過ぎても、客の姿はほとんどない。
競馬新聞を広げてブツブツ呟いている野球帽の老人だけが、もう2時間近く居座っている。
渋谷と恵比寿のちょうど中間あたりの裏通りに、
彼がコーヒースタンドを構えてから、早くも1ヶ月が過ぎた。

大手文具メーカーの資材部に勤めていた5年前、
当時の恋人に無理矢理取らされた休暇で向かったイタリアで、
エスプレッソの甘美な味わいに心を奪われた。
俺がこの先、人生を賭けるのはこれだ。彼は半ば強引に、そう直感した。
そのまま会社を辞め(同時に、恋人も去っていった)、
最低限の荷物とわずかばかりの退職金を手に再びイタリアへ渡り、
ミラノ市内のコーヒースタンドで2年半、タダ同然で働いた。
彼の不確かな直感は、ゆっくりと、確信という言葉へ姿を変えた。
彼の淹れるコーヒーが好きだという客が、すこしずつ増えはじめた。
バリスタのコンクールでも名前が呼ばれるようになり、やがて入賞の常連となった。
それから2年後の春、彼は日本へ帰ることを決意した。

東京に戻って3カ月後、彼は自分のイメージにピッタリ重なる物件を見つけた。
駅から遠いのが気にかかったが、はやる気持ちがそれを上回った。
日本では最近、若者向けのカルチャー誌でさえ、
コーヒーの特集が頻繁に組まれることを、彼は風の噂で聞いていた。
若者で賑わう店内、漂うコーヒーの香り、心地よいジャズの音色。
そんなことを、彼は漠然と夢想した。しかし、現実は甘くない。
一日に訪れる客の数は、両手で収まるほどだった。
場所が悪かったのか、PRをほとんど打たなかったからなのか。
近所の商店の主かその家族以外、リピーターと呼ばれる客が増えることはない。
目の前の道を、中年の駐車監視員が二人、連れ立って通り過ぎる。
前をゆく方の男と一瞬、目が合う。その瞬間、記憶のそこで何かがチリリと音を立てる。
会社勤めだった頃、隣のビルの一階に古い喫茶店があった。
コーヒーは不味くなかったが、店内の淀んだ空気が苦手でやがて足は遠のいた。
あの店の辛気くさいマスターも、こんな苦々しい時間を、かつて過ごしたのだろうか。

時計の針は、昼の12時を指そうとしている。依然、客の訪れる気配はない。
人の想像力は、つねに甘い見立てをするものだ。
リアリストを自負する彼でさえ、淡い期待とともに、
あるいは最悪のケースをイメージすることを怠ったのかもしれない。
しかし、彼の淹れるコーヒーは、掛け値なしに美味い。
そして、彼の小さな挑戦は、まだほんの数歩、足を踏み出したに過ぎない。

 

渡辺潤平(わたなべ・じゅんぺい)
コピーライター。早稲田大学卒業後、博報堂入社。2007年に渡辺潤平社設立。最近の仕事に千葉ロッテマリーンズ「交流戦ポスター」、日経電子版「田中電子版」、ユニクロ「新・チノ、新・カーゴ」、進研ゼミ「進め、学び。」、みんなのテニスポータブル「全員修造!」など。カンヌ国際広告祭、TCC新人賞、日経広告賞などを受賞。

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